社会 第7章
近代(開国〜戦前)
解説編
【既習/完成/最低25問】近代日本の成立と戦争。
図解で確認(メイン)
まず図を確認し、下の解説で各問の手順と根拠をたどってください。図が2枚あります。

開国→近代→戦争。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。

主権・人権・軍隊の違いの前史。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。
答え合わせで確認:語呂・必暗・手順
正解/不正解のあと、知識不足なら下の対応表・必暗をその場で再生する。手順ミスなら戦い方を見直す。
覚え方年表の覚え方(語呂は「音↔年号」の対応表)
語呂を唱えるだけでは足りない。どの音がどの桁かを指差し確認してから、因果を一文添える。並べ替えは年号大会にせず、まず因果で順序を決める。
戦い方社会の戦い方(この章でも同じ)
資料はリード文→注→表題→単位→極端値。記述は「資料のどこ+因果」。
- 手順資料問題はリード文→注→表題→単位→極端な値の順。知識だけで先に答えない
- 手順並べ替えは年号暗記大会にせず、因果(改革→制度→遷都など)で確定
- 手順公民は用語定義で確実に得点。曖昧なら対義語・対比で切る
- 手順記述は「資料のどこ+因果」を40〜80字。知識だけの作文にしない
- 手順毎日15分:学習中の単元の「受験で押さえる」を音読+書き
- 手順毎日30〜50分:弱点単元の⑤⑥または⑦を1セット
- 手順近い用語・近い年代・近い数値の取り違え
- 手順問題文の一部だけ合っていて結論がずれる選択肢
図で確認

開国→近代→戦争。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。

主権・人権・軍隊の違いの前史。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。
① 導入
この解説は、`SocialC07Mondai.astro` の現在の問題 1〜30 に対応しています。C07 は開国・明治改革・立憲政治・対外戦争・大戦景気・軍部台頭まで扱うため、 似た語が多く、資料A〜Gのどの行を根拠にしたかを見失うと簡単に取り違えます。
近代は「開国で外圧を受ける→国内改革で近代国家を作る→条約改正と戦争で対外進出する→大衆政治が広がる一方で軍部が台頭する」という骨格で見ます。 個別事件を丸暗記するより、順序と因果をつないだほうが失点しません。
② 基本概念
- 資料Aは開国の順序、資料Bは明治政府の中央集権化です。
- 資料Cは自由民権から帝国議会までの立憲化の流れです。
- 資料DとEは対外戦争・条約改正、資料Fは大戦景気、資料Gは昭和初期の転換点です。
- 数字問題は年差や指数計算が中心ですが、背景説明まで求められます。
- 誤答の大半は「人物と政策の逆転」「日清と日露の混同」「民主化と統制の両面の見落とし」です。
③ 図の確認
対外圧力→国内改革→戦争の大枠で順序を確定します。語呂は同じ章の授業文で回します。
- 1853年ペリー来航(いやでござんす(1853)ペリーさん)
- 1854年日米和親条約
- 1858年日米修好通商条約(一縛り(1858)通商条約)
- 1867年大政奉還(一夜むなしく(1867)大政奉還)
- 1868年明治維新・王政復古(ひとつやろうや(1868)明治維新)
- 1871年廃藩置県(一つの藩もない(1871)廃藩置県)
- 1872年学制/鉄道(新橋〜横浜)
- 1873年徴兵令・地租改正
- 1877年西南戦争
- 1885年内閣制度
- 1889年大日本帝国憲法発布(いち早く(1889)やろう憲法)
- 1890年教育勅語/第一回帝国議会
時間の流れ(古い → 新しい)
C07 では、明治維新で政治が転換し、憲法発布で制度が整い、普通選挙法で参加が広がる一方、満州事変で軍事色が強まります。 「近代化は一直線の進歩だった」と雑にまとめると、1925年の民主化と同年の統制強化を読み落とします。
④ 例題 解説
例1
資料Aでは、1853年ペリー来航、1854年日米和親条約、1858年日米修好通商条約、1867年大政奉還、1868年明治政府成立と並びます。 下田・函館を開いた条約は、ペリー来航の翌年に結ばれた日米和親条約です。
よくある誤りは、開港と聞いてすぐ日米修好通商条約を選ぶことです。しかしこの問題は資料Aの初期開国段階を見ています。 「和親=下田・函館」「修好通商=領事裁判権など不平等条約」という区別をここで固めてください。
答え:日米和親条約
例2
資料Aでペリー来航は1853年、日米修好通商条約は1858年です。したがって差は1858−1853=5年です。 近代史では事件名が長いので面倒に見えますが、計算自体は中学算数です。
重要なのは、どの二つの年を引くかを正しく拾うことです。1854年の日米和親条約を途中に挟むので混乱しやすいですが、設問は1858年までを聞いています。 順序を見失わなければ、答えは 5年 で確定です。
答え:5年
例3
幕府が不平等な通商条約を結んだ背景には、欧米列強の軍事力による圧力がありました。資料Aの流れでも、ペリー来航から短期間で和親条約、さらに通商条約へ進んでおり、日本側が主導していたとは言えません。
ここで「外交経験がなかったから」だけでは弱いです。設問はなぜ不平等条約を結ばざるを得なかったかを問うので、列強の強い要求と、日本側の交渉力不足の両面を書く必要があります。
答え:欧米列強が強い軍事力を背景に開国を要求し、幕府には対等に交渉できる力が不足していたから。
例4
日米修好通商条約は、資料Aで1858年に置かれる不平等条約です。その中身として重要なのが、外国人を日本の裁判で裁けない領事裁判権を認めたことでした。 関税自主権の欠如もありますが、選択肢の中で直接当たるのは領事裁判権です。
「関税自主権を完全に回復した」はむしろ後の条約改正の成果であり逆です。普通選挙は近代政治の別分野で、条約内容とは無関係です。 不平等条約の典型語として領事裁判権を押さえ、記号なら c を選びます。
答え:c(領事裁判権を認めた)
⑤ 基本問題 解説
5
資料Bの1871年廃藩置県では、府知事・県令を政府が任命するとあります。これは地方の支配権を各藩から中央政府へ集める政策なので、進めた政治の方向は中央集権化です。
地方分権化と答えるのは完全に逆です。藩主が自分の領地を支配する体制をやめ、政府任命の地方官が治めるのだから、権力は中央に集まっています。 だから答えは中央集権化です。
答え:中央集権化
6
資料Bでは、廃藩置県の結果として府知事・県令を政府が任命すると示されています。藩がそれぞれ勝手に地方支配を行う状態をやめさせ、地方官を中央政府が直接動かす仕組みに変えたわけです。
したがって、地方の政治が中央へ集まり、中央集権化が進みます。設問では「藩を廃したこと」と「政府任命の地方官」という資料語句を入れると論理が締まります。
答え:藩を廃し、政府が任命する府知事・県令に地方を治めさせ、地方支配を政府へ集めたから。
7
三つの出来事は、1853年ペリー来航、1871年廃藩置県、1889年大日本帝国憲法発布です。したがって古い順はペリー来航→廃藩置県→大日本帝国憲法発布となります。 開国がまずあり、その後に国内の中央集権化、さらに立憲体制の整備へ進む流れです。
近代は「対外圧力→国内改革→制度整備」と大枠で見ると順序を誤りません。年号丸暗記だけだと 1871 と 1889 の前後で迷いますが、廃藩置県が先で憲法発布が後なのは内容上も自然です。
答え:ペリー来航→廃藩置県→大日本帝国憲法発布
8
資料Bの地租改正には「地価を基準に現金納付」とあります。収穫量の増減に左右されやすい年貢制度と違い、土地価格を基準に現金で納めさせることで、政府は毎年の収入を見通しやすくなりました。
「米だけで納めた」は旧来の年貢に近い発想です。地租改正の要点は、地価基準・現金納付・政府収入の安定です。 この三点がつながれば、正解は b だと迷いません。
答え:b(地価を基準に現金で納めさせたから)
9
資料Cの1874年に民撰議院設立建白書があります。これを提出した中心人物は板垣退助で、自由民権運動の代表的人物として覚えるべき存在です。 大隈重信や伊藤博文も近代政治で重要ですが、この建白書に直結するのは板垣退助です。
人物問題は、出来事単独ではなく運動の流れで整理してください。民撰議院設立建白書→自由民権運動→板垣退助、と一本でつながっていれば崩れません。
答え:板垣退助
10
資料Cでは、1874年に民撰議院設立建白書、1881年に国会開設の勅諭、1889年に大日本帝国憲法発布、1890年に帝国議会開設と続きます。 つまり、自由民権運動による国会開設や憲法制定の要求が高まり、政府は制度整備を進めざるを得なくなりました。
「運動があった」だけでは影響になりません。要求が制度へどうつながったか、すなわち憲法発布と議会開設まで書いて初めて答えになります。 資料Cはその因果をほぼそのまま見せているので、流れを一文にしてください。
答え:国会開設や憲法制定を求める運動が広がり、政府は憲法を発布して帝国議会を開設した。
11
資料Cでは、大日本帝国憲法発布が1889年、帝国議会開設が1890年です。したがって差は1年です。 ここは数字そのものより、憲法発布の翌年に議会が開かれたという時間感覚を持てるかが大切です。
1881年の国会開設の勅諭を引いてしまうと失点します。勅諭は約束、発布は憲法の公布、議会開設は実施という違いを分けてください。
答え:1年
12
大日本帝国憲法では主権者は天皇とされました。戦後の日本国憲法の国民主権とここを混同すると、近代史は一気に崩れます。 近代の立憲体制でも、主権の所在は民主主義的ではなかったことが重要です。
「議会があるから国民主権」と短絡すると誤ります。帝国議会はありましたが、主権は天皇にありました。 選択肢では a が正解です。
答え:a(天皇)
⑥ 標準問題 解説
13
資料Dで、1894〜95年の日清戦争に続く講和条約は下関条約です。日露戦争のポーツマス条約と混同しやすいですが、戦争相手が清なら下関、ロシアならポーツマスと切り分けます。
講和条約名は、結果の内容とセットで覚えると強いです。下関条約は台湾割譲・賠償金、ポーツマス条約は韓国での優越権・南樺太・賠償金なし、という差まで押さえてください。
答え:下関条約
14
資料Dでは、日露戦争後のポーツマス条約で「賠償金なし」と示されています。国民は多額の戦費と大きな犠牲を払ったのに、期待した賠償金が得られなかったため強い不満を抱きました。
日比谷焼打ち事件は、単に戦争が終わったことへの反応ではありません。勝ったのに利益が少ないと感じた失望が原因です。 「戦費・犠牲」と「賠償金なし」の両方が入らない答案は弱いです。
答え:多額の戦費と犠牲を出したのに、ポーツマス条約で賠償金を得られず国民の不満が高まったから。
15
資料Dの日清戦争の結果には、下関条約によって台湾割譲とあります。したがって、日本が領有した地域は台湾です。 南樺太は日露戦争後、朝鮮半島全域や満州全域はこの戦争の結果としてそのまま日本領になったわけではありません。
戦争ごとの獲得権益を雑に覚えると危険です。日清戦争は台湾、日露戦争は韓国での優越権と南樺太、という最低限の対応は固定してください。 正しい記号は d です。
答え:d(台湾)
16
日清戦争は1894〜95年、日露戦争は1904〜05年、第一次世界大戦は1914年開始です。したがって古い順は日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦です。 十年ごとに区切って見ると、近い時代でも前後が整理しやすくなります。
ここは年号暗記が曖昧でも、清と戦ってからロシアと戦い、その後に世界大戦という外交の流れで並べられます。 条約改正や韓国併合などを挟んでも、この順序は揺れません。
答え:日清戦争→日露戦争→第一次世界大戦
17
資料Eでは、1894年に陸奥宗光が領事裁判権撤廃、1911年に小村寿太郎が関税自主権回復を実現したとあります。 開国時の不平等条約から最後に回復したのは、1911年の関税自主権です。
領事裁判権の撤廃が先で、関税自主権回復が後です。二段階のうち後半を聞かれているので、1911年という年と結び付けて覚えてください。
答え:関税自主権
18
条約改正は一度で完了したわけではありません。資料Eのとおり、まず陸奥宗光が領事裁判権の撤廃を実現し、さらに後になって小村寿太郎が関税自主権を回復しました。
ここで人物か内容のどちらかを落とすと減点されやすいです。「だれが」「何を」回復したかを二段に分けて書くことが重要で、年までは必須ではなくても流れは外せません。
答え:陸奥宗光が領事裁判権の撤廃を実現し、その後、小村寿太郎が関税自主権を回復した。
19
資料Fの輸出指数は、1913年100、1915年145、1917年260、1919年230です。最大値は260なので、もっとも大きい年は1917年です。 1919年も高いですが、260より小さい230なので最大ではありません。
指数問題では「最後の年が最大」と決めつける人が多いですが、資料をきちんと比較すれば防げるミスです。 数字を見て最大を選ぶだけの問題は、確実に落とさないでください。
答え:1917年
20
第一次世界大戦中、欧州諸国は戦争に資源と労働力を回したため、生産や輸出を十分に行えませんでした。その穴を埋める形で、日本製品への需要がアジア市場を中心に増え、資料Fでも輸出指数が大きく上昇しています。
「日本が急に技術大国になったから」だけでは一面的です。大戦景気の本質は、欧州側の供給低下と日本側の需要増加の組み合わせにあります。 資料Fの上昇を根拠にしつつ、外部要因を書いてください。
答え:欧州諸国が戦争で生産や輸出を減らしたため、アジア市場で日本製品への需要が増えたから。
21
資料Fでは物価指数が 1913年100 から 1919年205 へ上がっており、戦争景気の裏で生活費の上昇も進みました。その不満を背景に1918年に全国へ広がった民衆運動が米騒動です。
大戦景気は輸出増加だけ見ていると好景気で終わりますが、庶民生活では物価高が深刻でした。好況と生活苦が同時に起きる点を押さえると、この後の設問22にもつながります。
答え:米騒動
22
資料Fでは輸出指数が増え、同時に物価指数も大きく上がっています。つまり、大戦景気は輸出の伸びというプラス面がある一方で、物価上昇による生活苦というマイナス面も持っていました。
「一様に豊かになった」と見るのは雑です。階層によって恩恵と負担が違ったからこそ、米騒動のような不満が起きたのです。 したがって最も適切なのは c です。
答え:c(輸出は伸びたが物価上昇で生活苦も生じた)
⑦ 応用・入試形式 解説
23
資料Gでは、1925年に「普通選挙法と治安維持法が成立」とあります。(1) は納税額による選挙資格をなくした法律を問うので、この二つのうち選挙制度に関わる普通選挙法を答えます。 治安維持法は思想統制であり、選挙権拡大の法律ではありません。
同じ年に民主化と統制強化が並ぶのがこの時代の重要点です。だからこそ、名前を見て分野を切り分ける必要があります。 選挙資格の撤廃なら普通選挙法です。
答え:普通選挙法
24
資料Gで普通選挙法は1925年、満州事変は1931年です。差は1931−1925=6年なので、答えは6年です。 世界恐慌の1929年が間に挟まるため、そこを終点と勘違いしないでください。
年差問題では途中の出来事に引っ張られず、開始年と終了年だけを正確に拾うことが重要です。 1925年から1931年までは 6年 で確定します。
答え:6年
25
資料Gでは1929年に世界恐慌、1931年に満州事変とあります。補助表でも、生糸輸出は1928年100から1932年46まで急減し、失業者指数は100から210まで増えています。 つまり、輸出減少と失業増加で政党政治への不満が強まり、軍部の強硬な対外進出が支持されやすくなったのです。
ここは「恐慌で苦しくなったから軍部が強くなった」と雑に書くと弱いです。何がどれだけ悪化したかを補助表から拾い、既成政党への不満という政治面までつなげる必要があります。
答え:世界恐慌で生糸輸出が急減し失業者が増え、政党政治への不満から軍部の対外進出が支持されたため。
26
1925年の普通選挙法で選挙権を得たのは、満25歳以上の男子です。納税資格はなくなりましたが、女性にはまだ選挙権がありませんでした。
「普通選挙」と聞くと全成人だと思い込むのは危険です。この時点では男子に限られており、女性参政権は戦後です。 条件付きの拡大だと正確に理解してください。
答え:満25歳以上の男子
27
資料Gの1925年の欄には、普通選挙法と治安維持法が並んでいます。このうち、社会主義運動などを取り締まった法律は治安維持法です。 同年に政治参加を広げつつ、思想面では締め付けを強めたことが重要です。
この二法律をセットで覚えていないと、どちらが自由の拡大でどちらが統制かが曖昧になります。 1925年は一見民主化ですが、同時に統制強化も進んだ年だと押さえてください。
答え:治安維持法
28
1925年の二法律は、政治の両面をはっきり示しています。普通選挙法は納税資格をなくして男子の政治参加を広げた一方、治安維持法は社会主義などの思想運動を取り締まりました。
つまり、この時代は単純な自由化でも単純な反動化でもありません。参加拡大と統制強化が同時進行したのが本質です。 この二面性を書けないと、近代後半の政治を正しく理解できません。
答え:普通選挙法で男子の政治参加を広げる一方、治安維持法で社会主義などの思想運動を抑えた。
⑧ 確認テスト 解説
29
満州事変が始まったのは1931年です。資料Gの最後の行にあり、昭和初期に軍部の影響力が拡大する出発点として押さえるべき年です。
1937年の日中戦争や1941年の太平洋戦争と混同すると、戦前史の流れが壊れます。満州事変はその前段階で、1931年という年を確実に固定してください。
答え:1931年
30
このまとめでは、指定語の「近代化」「対外進出」を両方使う必要があります。日本は列強に対抗するため、開国後に中央集権化や産業育成、憲法制定などの近代化を進めました。
しかしその後は、日清・日露戦争や韓国併合、満州事変へと対外進出を強め、恐慌後には軍部主導の色彩が濃くなります。 「近代化=善」「対外進出=別問題」と分けず、前者が後者の土台にもなったことまで見てください。
答え:日本は列強に対抗して近代化を進めたが、戦争で権益を広げ、恐慌後は軍部主導の対外進出を強めた。
⑨ まとめ
C07 の本質は、外圧への対応として始まった近代化が、議会政治の拡大と対外進出の強化を同時に生み、最終的に軍部台頭へつながる流れを読み切れるかです。 間違えた問題は、資料のどの年・数値・語句を使えば解けたかまで戻って確認してください。