社会 第6章
近世
解説編
【既習/完成/最低25問】江戸までの政治・社会。
図解で確認(メイン)
まず図を確認し、下の解説で各問の手順と根拠をたどってください。図が2枚あります。

将軍と大名の階層。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。

江戸までの政治・社会。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。
答え合わせで確認:語呂・必暗・手順
正解/不正解のあと、知識不足なら下の対応表・必暗をその場で再生する。手順ミスなら戦い方を見直す。
覚え方年表の覚え方(語呂は「音↔年号」の対応表)
語呂を唱えるだけでは足りない。どの音がどの桁かを指差し確認してから、因果を一文添える。並べ替えは年号大会にせず、まず因果で順序を決める。
戦い方社会の戦い方(この章でも同じ)
資料はリード文→注→表題→単位→極端値。記述は「資料のどこ+因果」。
- 手順資料問題はリード文→注→表題→単位→極端な値の順。知識だけで先に答えない
- 手順並べ替えは年号暗記大会にせず、因果(改革→制度→遷都など)で確定
- 手順公民は用語定義で確実に得点。曖昧なら対義語・対比で切る
- 手順記述は「資料のどこ+因果」を40〜80字。知識だけの作文にしない
- 手順毎日15分:学習中の単元の「受験で押さえる」を音読+書き
- 手順毎日30〜50分:弱点単元の⑤⑥または⑦を1セット
- 手順近い用語・近い年代・近い数値の取り違え
- 手順問題文の一部だけ合っていて結論がずれる選択肢
図で確認

将軍と大名の階層。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。

江戸までの政治・社会。 図では、矢印・色分け・凡例を順に確認し、本文の用語と対応させて読みます。
① 導入
この解説は、`SocialC06Mondai.astro` の現在の問題 1〜30 に対応しています。近世は「だれが何をしたか」だけでは弱く、 資料A〜Fのどこを根拠にしたか、並べ替えなら前後関係、記述なら原因と結果まで説明できることが得点差になります。
江戸時代は、統一事業→幕藩体制→対外統制→商品経済の発達→改革、という流れで押さえます。 「制度名だけ暗記して終わり」にすると選択肢のひっかけに負けるので、資料の語句と因果を必ず結び付けてください。
② 基本概念
- 資料Aは統一から幕府成立までの順序確認です。
- 資料Bは大名統制、資料Cは鎖国下でも続いた四つの窓口が核です。
- 資料Dは元禄文化と化政文化の比較、資料Eは三大改革の比較です。
- 資料Fは同一資料で読取→計算→因果記述へ進む入試形式です。
- 誤答の多くは「完全鎖国」「改革名と人物の逆転」「文化の時代取り違え」です。
③ 図の確認
幕府成立から改革まで、順序とねらいを一緒に読みます。語呂と原因は同じ章の「受験で押さえる」にあります。
- 1543年鉄砲伝来(囲碁よさん(1543)鉄砲伝来)
- 1549年キリスト教伝来(以後よく(1549)覚えてザビエル)
- 1560年桶狭間の戦い
- 1573年室町幕府滅亡
- 1575年長篠の戦い
- 1582年本能寺の変(一気に爆破(1582)本能寺)
- 1588年刀狩令
- 1590年全国統一(秀吉)(一句丸く(1590)収めた統一)
- 1592年文禄の役
- 1600年関ヶ原の戦い(人ごろし(1600)関ヶ原)
- 1603年江戸幕府成立(一気に治まる(1603)江戸幕府)
- 1615年大坂夏の陣/武家諸法度(いろいろご(1615)苦労さん大坂の陣)
時間の流れ(古い → 新しい)
この章では、江戸幕府の成立で支配が固まり、その後は統制を維持しながら財政悪化や商品経済の発達へ対応していく流れを見ます。 年号単独ではなく、「支配の安定」と「改革が必要になった背景」を一本でつなげてください。
④ 例題 解説
例1
資料Aでは 1588年の刀狩令、1590年の全国統一、1600年の関ヶ原の戦い、1603年の江戸幕府成立、1615年の大坂夏の陣・武家諸法度という順です。 設問は「徳川家康が全国支配の主導権を握る転換点」を聞いているので、幕府成立そのものではなく、その直前に勝敗が決した出来事を選びます。
1603年を選ぶ人は、「主導権を握った時」と「幕府を開いた時」を区別できていません。因果は関ヶ原の勝利→主導権獲得→江戸幕府成立です。 並べ替え資料では、この一段前の出来事が問われやすいので、前後一組で覚えるのが安全です。
答え:関ヶ原の戦い
例2
資料Aで江戸幕府成立は1603年です。設問はその3年前を聞いているので、1603から3を引いて1600年と出せば足ります。 近世史では計算自体は簡単でも、どの年を基準に引くかを見誤ると失点します。
ここでも内容のつながりを意識すると、1600年は関ヶ原の戦いであるため記憶に残りやすくなります。 「年号だけ暗算して終わり」ではなく、「1600年に家康が主導権を握った」と意味付きで回収してください。
答え:1600年
例3
刀狩と太閤検地は、どちらも豊臣秀吉が全国支配を進める中で、人と土地を結び付けて管理しやすくする政策です。 刀狩で農民から武器を取り上げ、太閤検地でだれがどの土地を耕しどれだけ年貢を負担するかを把握しました。
その結果、武士は戦う身分、農民は耕して年貢を納める身分へ分けられ、兵農分離が進みます。 よくある誤りは「検地は土地調査、刀狩は治安対策」と別々に覚えて終わることですが、設問では二つをまとめた歴史的効果を問われています。
答え:土地と年貢の負担者を定め、農民から武器を取り上げて武士と農民の身分を分けたから。
例4
資料Aの1615年には「大坂夏の陣・武家諸法度」とあります。武家諸法度は大名を統制するための基本法令で、城の修築や婚姻などを勝手に進められないようにしました。 大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしたあと、制度でも大名支配を固めた流れです。
禁中並公家諸法度は朝廷や公家向け、公事方御定書は後の裁判基準、生類憐みの令は綱吉期の政策です。 選択肢は「だれを統制する法令か」で切ると迷いません。大名統制だから武家諸法度、したがって記号は b です。
答え:b(武家諸法度)
⑤ 基本問題 解説
5
資料Bには、武家諸法度、参勤交代、幕府直轄領が並んでいます。細かい仕組みは違っても、全部の共通目的は「大名が勝手に力を持ちすぎないようにし、幕府中心の支配を安定させること」です。 城や婚姻を制限する、江戸往復で費用を負わせる、重要都市や鉱山を幕府が直接押さえる、という三方向から統制しています。
ここで「参勤交代は交通発達のため」など部分的効果だけで答えるとズレます。設問は三制度に共通する上位目的を聞いているので、必ず「大名統制」と「幕府支配の安定」を入れてください。
答え:大名を統制して幕府の支配を安定させること
6
資料Bの参勤交代は、大名が領地と江戸を往復し、妻子は江戸に住む制度です。表面的には礼儀の制度に見えても、実質は政治と軍事の両面で大名をしばる仕組みでした。 行列の準備、移動費、江戸屋敷の維持費が重くのしかかり、大名は余力を軍事反乱に回しにくくなります。
よくある誤答は「江戸に集めて相談しやすくするため」だけで終えることです。それでは抑制の仕組みが書けていません。 この設問では、江戸往復・妻子の江戸居住・経済的負担という資料語句を入れて、なぜ軍事力が弱まるのかを因果で書く必要があります。
答え:江戸との往復や妻子の江戸居住に多額の費用を負担させ、軍事に使える力を弱めた。
7
並べる三つは、関ヶ原の戦い、江戸幕府成立、大坂夏の陣です。家康が勝って主導権を握るのが1600年、その権力を制度化して幕府を開くのが1603年、最後に豊臣氏を滅ぼして対抗勢力を断つのが1615年です。
つまり、戦いで主導権獲得→政権樹立→残る敵対勢力の一掃、という流れで並べれば年号暗記が曖昧でも順序は崩れません。 「幕府成立が先」と誤る人は、出来事の意味を見ずに「江戸」が先に思い浮かぶだけです。意味で並べる癖をつけてください。
答え:関ヶ原の戦い→江戸幕府成立→大坂夏の陣
8
外様大名は、幕府にとって最初から完全には信用できない存在でした。そのため江戸のすぐ周辺ではなく、江戸から遠い地域に多く配置し、要所には譜代大名を置いて監視しやすい形をとりました。
「すべて江戸城内」「すべて直轄領」は現実的ではありませんし、京都だけに置くというのも対外・地方統治の実態と合いません。 問題の本質は位置関係です。幕府は近くを譜代で固め、外様は遠ざけた。だから正解は c です。
答え:c(江戸から遠い地域に多く配置した)
9
資料Cでは、長崎―オランダ・中国、対馬藩―朝鮮、薩摩藩―琉球、松前藩―アイヌと示されています。 設問は「ヨーロッパとの貿易窓口と相手国の組合せ」なので、ヨーロッパに当たるオランダと、その窓口である長崎を結べば終わりです。
朝鮮や琉球はアジア側の窓口なので対象外です。長崎だけ、あるいはオランダだけでも半分しか答えていません。 資料読み取りでは、場所と相手国をセットで言えるかが重要なので、「長崎とオランダ」まで一気に書いてください。
答え:長崎とオランダ
10
「鎖国中、日本は外国と一切交流しなかった」は、資料Cを見れば崩れます。長崎ではオランダ・中国、対馬藩では朝鮮、薩摩藩では琉球、松前藩ではアイヌとの関係が続いていました。 つまり、交流がゼロだったのではなく、窓口を限定して幕府が強く統制していたのです。
この手の誤文訂正では、「完全に」「一切」など極端な表現を疑うのが鉄則です。設問は資料Cを使えと明示しているので、四つの窓口という根拠を書かないと説明不足になります。
答え:長崎でオランダ・中国、対馬で朝鮮など、四つの窓口を通じて貿易や外交が続いたから。
11
資料Cの対応表をそのまま読むと、朝鮮との窓口は対馬藩です。朝鮮通信使が来日する際の外交実務も対馬藩が担いました。 薩摩藩は琉球、松前藩はアイヌですから、相手地域の違いで切り分けられます。
長州藩を選ぶ余地は資料にありません。こういう問題は難しく考える必要がなく、表の一対一対応を崩さないことが最優先です。 朝鮮と見たら対馬藩、と自動で出るまで固定してください。よって記号は a です。
答え:a(対馬藩)
12
1637年に起き、キリスト教弾圧と重い年貢を背景とした一揆は島原・天草一揆です。場所、年、背景の三点がそろっているので、ほかの百姓一揆とは区別しやすい典型問題です。
「島原の乱」と覚えている人もいますが、問題の正答トークンに合わせるなら島原・天草一揆で書くのが安全です。 背景を問う別問題にもつながるので、弾圧と年貢の二重の不満だったことまで押さえてください。
答え:島原・天草一揆
⑥ 標準問題 解説
13
資料Dでは、元禄文化は17世紀末〜18世紀初め・上方中心、化政文化は19世紀前半・江戸中心と整理されています。 設問は違いを「時期」と「中心都市」の両方で説明しろと言っているので、どちらか一方だけでは不十分です。
「元禄は先、化政は後」という時間差と、「上方から江戸へ文化の中心が移る」という空間差を一文でまとめるのがコツです。 人名だけを並べても比較にならないので、資料Dの見出しをそのまま文章に直してください。
答え:元禄文化は先に上方を中心に栄え、化政文化はその後の19世紀前半に江戸を中心に栄えた。
14
『奥の細道』を書いたのは松尾芭蕉です。資料Dの元禄文化の時期に属する代表的な文学者として扱うと、文化の時代判定と人物がつながります。 近松門左衛門は人形浄瑠璃、井原西鶴は浮世草子で、同時代でもジャンルが違います。
文化史は「作品名だけ」「人物名だけ」で覚えると崩れやすいので、作品と人物を一対で固定することが重要です。 『奥の細道』なら松尾芭蕉、という直結回路を作ってください。
答え:松尾芭蕉
15
資料Dによれば、化政文化は19世紀前半・江戸中心です。その代表的人物として選択肢の中で当てはまるのは葛飾北斎です。 近松門左衛門と井原西鶴は元禄文化側、菱川師宣はより前の浮世絵師で、化政文化の代表としては外れます。
ここは単に人名を覚えるのでなく、「江戸の町人文化が成熟した時代に活躍した人物か」で判定すると強いです。 化政文化の代表として北斎を選び、記号で答えるなら d です。
答え:d(葛飾北斎)
16
資料Eでは、1716年〜 享保:徳川吉宗、1787年〜 寛政:松平定信、1841年〜 天保:水野忠邦と並んでいます。 享保の改革を始めた人物を聞かれたら、最初の行をそのまま読んで徳川吉宗です。
三大改革は人物が入れ替わるだけで混乱しやすいため、改革名だけでなく開始年も一緒に覚えるのが効果的です。 1716年とセットで浮かぶ人物が徳川吉宗なら、この後の計算問題や比較問題にも耐えられます。
答え:徳川吉宗
17
資料Eの享保の改革は1716年、天保の改革は1841年です。したがって1841−1716=125で、差は125年になります。 近世の計算問題は答えの数字より、どの二つの年を使うかを見抜けるかが大事です。
1787年の寛政の改革を混ぜるとズレます。設問は「享保から天保まで」なので、最初と最後だけを引けばいい。 改革の順番を理解していれば、数字の処理自体は一瞬で終わります。
答え:125年
18
資料Eの1841年〜天保の改革の欄に、水野忠邦・株仲間解散とあります。したがって、株仲間を解散させた改革と人物の組合せは天保の改革―水野忠邦です。 享保は徳川吉宗、寛政は松平定信なので、人物が入れ替わった選択肢は全部誤りです。
株仲間については、田沼意次が奨励したこととの逆方向もよく出ます。奨励したのか、解散させたのかまでセットで比較できないとミスします。 資料の対応を素直に使えば、正しい記号は b です。
答え:b(天保の改革―水野忠邦)
19
三大改革が繰り返された背景は、幕府財政の構造と社会の変化のずれにあります。収入は米の年貢が中心なのに、商品経済や貨幣経済が発達すると支出や取引は現金中心になり、幕府財政が苦しくなりました。
つまり、旧来の米中心の仕組みで新しい経済に対応しきれなくなったため、何度も立て直しが必要になったのです。 「将軍がやる気を出したから」では説明になりません。年貢と商品経済のズレを書くことが、この設問の核心です。
答え:幕府の収入は米の年貢が中心なのに貨幣経済が発達して支出が増え、幕府財政が悪化したため。
20
田沼意次の政策は、株仲間を奨励して商業を活発化させ、そのかわり運上・冥加という形で幕府収入を増やそうとした点に特徴があります。 三大改革の引き締め型政策と違い、商業利益を取り込む方向でした。
「株仲間を解散させた」は水野忠邦の天保の改革なので逆です。囲米は松平定信、上げ米の制は徳川吉宗で、ここでも人物と政策の入れ替えがひっかけです。 田沼意次といえば株仲間奨励、と即答できるようにしてください。正解は a です。
答え:a(株仲間を奨励し運上・冥加を得た)
21
『解体新書』に関わり、オランダ語を通して西洋医学や自然科学を学ぶ学問は蘭学です。鎖国下でも長崎を通じてオランダの知識が入ったことと結び付きます。 漢学や国学は別の知的流れなので、学ぶ言語経路で切り分けると混同しません。
この設問は単語暗記に見えて、背景には「鎖国でも限定的な交流が続いた」という近世の特徴があります。 『解体新書』と蘭学をつなげておくと、文化史と対外関係の両方を一度に整理できます。
答え:蘭学
22
新田開発で生産量が増え、五街道や海運の整備で各地の物資を大量かつ継続的に運べるようになりました。すると農産物や商品が都市へ集まり、市場と商業が広がります。 つまり、生産拡大と輸送網整備が一体となって都市の発展を支えたのです。
「道路ができたから便利になった」だけでは説明が浅いです。何が運ばれ、どこに集まり、結果として何が拡大したのかまで書く必要があります。 商品・輸送・市場の三点をつなげると、答案が安定します。
答え:農産物や商品を大量に生産し各地から都市へ運べるようになり、市場と商業が拡大したから。
⑦ 応用・入試形式 解説
23
資料Fの年表には 1635年「参勤交代を制度化。大名の負担が増す」と明記されています。(1) は直接読取なので、余計な知識を足さずにその年をそのまま抜き出せばよい問題です。
入試では、簡単な問題ほど勝手に考えすぎてずらす人がいます。ここは「参勤交代」と「制度化」が同じ行にあることを確認し、1635年と答えて即回収してください。
答え:1635年
24
資料F補助表の江戸の人口指数は、1600年が100、1688年が420です。倍率は「後の値÷前の値」なので、420÷100=4.2で 4.2倍となります。 差の320をそのまま答えるのは典型的な誤りで、倍率と増加量を混同しています。
指数の問題は、基準年が100なら特に簡単です。100を基準に420になったのだから4.2倍、と一瞬で言えるようにしてください。 問われているのは何倍かなので、表現も 4.2倍 まで入れるのが安全です。
答え:4.2倍
25
資料Fでは、1635年に参勤交代が制度化され、その後、江戸の人口指数は100から420へ、街道交通量指数も100から310へ上がっています。 大名行列の往復と江戸滞在には多くの人・物資の移動が伴うため、都市の人口増加と交通量増加が同時に起こるのは自然です。
ここでは「年表の制度」と「補助表の数値」を結び付けるのが核心です。どちらか片方だけでは因果記述になりません。 「人や物の移動が増えたから指数が上昇した」と、資料根拠を二本使って説明するのが正攻法です。
答え:大名行列の往復と江戸滞在で人や物の移動が増え、人口指数と街道交通量指数がともに上昇したから。
26
資料Fの1688年ごろは元禄文化です。元禄文化に最も関係する人物を選ぶなら、選択肢では近松門左衛門が当てはまります。 葛飾北斎や滝沢馬琴は化政文化寄りで、杉田玄白は蘭学ですから、時代も分野もずれています。
文化史の選択問題は、人名単独ではなく「時期の札」をつけて処理してください。1688年ごろ=元禄=上方文化という軸を持っていれば、近松門左衛門以外は落とせます。 したがって正しい記号は c です。
答え:c(近松門左衛門)
27
資料Fの最初の二行は、1600年の関ヶ原の戦いと1603年の江戸幕府成立です。ここで問われるのは単なる年順ではなく、前の出来事が後の出来事をどう生んだかという因果です。 関ヶ原で家康が勝ち、全国支配の主導権を握ったからこそ、1603年に幕府を開けました。
「関ヶ原のあと江戸幕府ができた」とだけ書くと、なぜそうなったのかが抜けます。勝利→主導権獲得→幕府成立という中間を一つ入れるだけで、記述の質が上がります。
答え:徳川家康は関ヶ原の戦いで勝って全国支配の主導権を握り、1603年に江戸幕府を開いた。
28
資料Fのできごとは、1600年関ヶ原、1603年江戸幕府成立、1635年参勤交代制度化、1688年ごろ元禄文化、1716年享保の改革です。 一番最後、つまり最も新しいのは1716年の享保の改革です。
参勤交代や元禄文化で止まる人は、資料を左から右へ最後まで追えていません。時代のまとまりとしても、支配体制の整備より後に改革が出てくるのは自然です。 選択肢では d がそれに当たります。
答え:d(享保の改革)
⑧ 確認テスト 解説
29
資料Cの四つの窓口のうち、アイヌとの交易を担ったのは松前藩です。長崎はオランダ・中国、対馬藩は朝鮮、薩摩藩は琉球なので、相手先ごとに整理すると迷いません。
この問題は単独では簡単でも、他の三つとセットで問われると崩れる人が多いです。四つを表で丸ごと覚え、相手地域を見た瞬間に藩名まで出る状態にしてください。
答え:松前藩
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まとめ問題では、指定語の「統制」「商品経済」を必ず使う必要があります。江戸幕府は大名や貿易を統制して支配を安定させましたが、同時に都市の発展や流通の拡大で商品経済が発達し、従来の財政では対応しきれなくなりました。
つまり近世は、支配を固める時代であると同時に、経済の発展が新しい課題を生んだ時代でもあります。この二面性が書けないと、単なる幕府礼賛か、逆に経済史だけの答案になってしまいます。
答え:幕府は大名と貿易を統制して支配を安定させたが、商品経済の発達で町人が成長し財政改革が必要になった。
⑨ まとめ
C06 は、資料の読み取りだけでなく「統一の完成」「幕藩体制の維持」「限定された対外関係」「商品経済の発達による改革の必要」という流れを一本で説明できるかが本質です。 間違えた問題は、どの資料語句を使い損ねたかまで戻って確認してください。